大島みち子さんについて、『若きいのちの日記』を読んで
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病名は違うが、私も似た場所に嚢胞ができ、もう少し気がつくのが遅ければ目の神経を圧迫して
失明の可能性があったと医師に告げられたのをとてもよく覚えている。まだ子供も小さく、そんなことになったらこの子達はと、自分のことより我が子の成長の心配が頭をよぎった。
最初の耳鼻科へ行ったときの症状も似ている。鼻がつまり、匂いがよくわからない、しかし痛みはない。
そして大島みち子さんの症状としてでていなかったようだが、私の場合はお辞儀をすると、片方の方に違和感があった。なんだか頬が重い感じがした。恐らく、私の方が進行していたのだ。しかしこの時は二度目の最初の時で、最初の時から約20年ほど経っていた。
最初の発病は私の方が早いようである。実は上の症状の前の中学2年の時に、上奥歯から茶色い汁が出てきて、苦くてなんだろうと思ったが、今思えば膿が酸化したか、血が混じっていたのかもしれない。近くの歯科と耳鼻科に受診した。この汁と鼻づまりのためだ。どちらも大学病院を紹介するといい、歯が頬骨を突き抜けていて、そこに化膿したふくろがあるとのこと。
自宅から通える大学病院が耳鼻科のため、そちらで手術した。その時、再発するかもしれないと言われていて、二度目の時にやっと病巣の原因がわかったのだ。
みち子さんが発症したのが、私の最初の手術のまた15年から20年前。そう考えると、医学の進歩は凄まじいものがある気がする。
みち子さんは、偶然出会った河野実さん(まこ)と最後の時まで文通や、電話、面会と交流することで死だけでなく、愛を感じて過ごした日々だったようだ。
若干21歳で旅立たれたが、今回日記を読ませていただき、
- この日記が恐らく読まれることをわかって書かれていたものであること。
- ジャーナリストになりたかったこと
- 社会貢献活動がしたかったこと
- 宗教をもっていなかったこと
- ルーテルの通信講座(?)でキリスト教を少し学ばれたこと
- 最後まで特定の宗教を持たなかったが、持っている人と話しをして、心が安らぐのは理解できると、ただ病気は進行では治らないと考えた。
- 阪神ファンだったこと
- 阪神が優勝してしまい、生きる支えがなくなった(?)と冗談を書いていたこと。(優勝を見るまでは生きられると思っていた??)
- まこさんに結婚しようといわれてたこと
- まこさんから手術後、心の妻と言われて、喜ばれていたこと
- 亡くなられた日が大切なまこさんの誕生日の前日であったこと。
- 病気になれたからこそ、見栄っ張りで虚栄心が強いだけで終わらずに、不治の病のなってしまった今を、幸福といっていたこと
- 障がい者について、以前は生きるべきでないと思っていたが、マイナス面をプラス面に近づけて生きることが必要、身体障がい者の施設をつくるべきだと書いている。(当時の婦人公論の記事を読んでの感想)
とつらつらとみち子さんについて感じた、知り得たことを若き命の日記を読んで書いた。
非常に才媛であり、そして何より気持ちが優しい方だ。死の恐怖だけでなく、人を思いやる気持ちで最後まで入れたことはまこさんの存在がとても大きかったことでしょう。
まこさんは、その後結婚し、家庭を築いたとネットに書かれいた。しかしこれも、みち子さんはご自身の日記の中で、自分の生きられなかったこれからを、新しい人と幸せになって欲しいと書かれていた。それをまこさんは、みこさんの意思として守られたのだ。
なぜ今、絶版になっているこの本に出会えたのか、今年阪神が優勝したからだろうか。私は野球にも阪神にも詳しくないが、亡き夫は大の阪神ファンだった。阪神が優勝したことを空の上で喜んでいる、夫からのプレゼントと考えてしまう。
みち子さんの手術前の恐怖。私の方が全然軽いが、やはり顔にメスを入れる、万一手術の危険があると失明するかもしれないと言われても手術に臨んだのは、みち子さんも私も家族のため、そして明日の自分のためであったことは同じではないだろうか。
みち子さんのしたかったこと、何かできることを命があるうちにしてみたいと思わずにはいられない。
企業組合リ・そうるけあ
代表理事 高山和 たかやまあい