聞こえないを伝えるに変えること
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聞こえないを伝えるに変えること、どういう意味かわかりますか?
聞こえないの反対は、聞こえるです。しかし誰もが聞こえるわけではありません。聴覚障害者の方にとっては、聞こえるようにはできないからです。もしかしたら、補聴器をつけて聞こえるようになる方もいるかもしれない。ずっとそう思っていました。しかし、今回手話奉仕員初級講座を受講する機会をいただき、講師のろう者の方から、ほとんどの人が補聴器を付けてもある程度、おとがしているかどうかしかわからないと聞き、愕然としました。
社会人になってコンピュータメーカーの会社で仕事をしました。外資ということもあったのかもしれません、当時からすでに、障害のある方も一緒に仕事をするという環境がありました。電話が鳴ると、ランプがつく装置が机にあったり、補聴器をつけて普通以上に丁寧な日本語を話す、一年先輩は話しても意見を曲げないのは、仕事に頑固なのは性格なのかと思っていましたが、今はもしかしたら、きちんとこちらの意見を理解できていなかった、理解できるよう、お客様も、先輩、後輩、社内全体も伝わっていなかったのかもしれません。
縁あって別の会社のIT部門でその後仕事をした時、別の両耳に耳掛け補聴器を付けた方と仕事をする機会がありました。その方は生まれて間もなくの中途失聴者でしたが、とても綺麗な日本語、英語、イタリア語を話せる方で、あまり正直、ろう者である不自由を感じさせない方でした。しかしそれでも今思えば聴こえることは制限があるため、一度思い込むと、猪突猛進だったのは、知ること、聴こえることに制限があったからかもしれないと思うようになりました。
今やAIの発達は普通に生活していてもニュースで見ることが毎日あるほどになり、CMでもAIタレントが出ているほどです。
健常者より何かが欠けている立場の人、今回はろう者について考えてみましたが、話して聞こえないならば、伝えるようにすることが必要です。
そして、聞こえない人が努力して理解しようとすることには限界がある、誤解や、間違った解釈をすることもあることを経験で学ばせていただいた私は、いつかもっと伝える方法をこちらも学べたらとずっと思っていました。(当時はろう者の先輩とは頻繁にメールのやり取りをしました)
またデフリンピック、そしてテレビドラマのお陰と、ITが身近になったことで、やっとこちらが寄り添うことを学べる手話の講座もどんどん増えてきました。
昔はろう学校では、口話を中心で聞こえなくても口話の発生練習を一日中して、手話は禁止だったそうです。しかし、友人との間で手話で先生に見つからないように話したことが楽しかったと、手話講座の先生に聞きました。なぜ楽しかったのでしょうか、それは気持ちが、思っていることが伝わるからです。
聞こえないを伝えるに変えることは本当は手話だけではないと思います。
表情や、ボディランゲージ、そして何より想いは伝わります。そしてそれらを組み合わせてすることが大切と、手話講座でも教えていただきました。
人と人とのつながりの考え方を変える時代が到来している気がします。年齢が高くなったから、リタイアするのでもなく、からだのどこかが不自由だから、仕事はできないのでもなく、始めから自分でしないや周囲がさせないのではなく、いろんな選択肢をその人その人で取れるような社会になれるよう、制度や手続き含め動いています。もしかしたら、少子高齢化でみんなが助け合って生活を最後までしていくことに、やっと私たちは気がついたのかもしれません。
聞こえないを、別の方法で理解してもらえるように、自分には何ができるか考えてみませんか?
追記ですがNHKでデフヴォイスのドラマの後編が昨晩ありました。再放送もあるかと思います。私のような手話初心者にも長くない手話で、早すぎない手話でも焼いとりはとてもわかりやすく、さらに顔や体全体での表現に考えさせられる場面がたくさんありました。
少しでも寄り添いを考えると、誰かの笑顔が増えるのかもしれません。
企業組合リ・そうるけあ
代表理事 高山和 たかやまあい