最後のお見送りは荘厳だった? – リ・そうるけあ

最後のお見送りは荘厳だった?

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最後のお見送りは荘厳だった?

 

今や人が亡くなる場合、9割が病院だそうです。それは、医療の充実とも捉えることができるかもしれません。最後まで、助かるよう処置が施されているとも言えます。

 

人生の最終日、それは亡くなる日。

あなたは誰といたいですか?

何をしていたいですか?

どこにいたいですか?

思い残しはないですか?

思い残しを誰かに託せますか?

 

昭和初期の頃ですと、上の質問は今よりも質の良い答えになる気がします。

なぜならば、医療サービスの充実がなかったことにより、最後は家族に見守られてお別れをして、自宅での最後になったからです。最後を託す言葉もきっと言うことができたでしょう。

 

しかし今は、病院で一生懸命に治療を受けることはできますが、そのために、最後の時もしかしたら一緒にいてあげれないかもしれません。家族が駆けつける途中で、力尽きてしまうかもしれません。

今秋、大学卒業に際し、卒業レポートとして下記を書き上げました。

人生の質を整えること、今一度、昔の人の生活の良さを見直すために立ち止まる時が来ているのではないでしょうか。

よりよい生活のために、人生の最後の死の質を上げる取り組みをする浦安市と浦安市墓地公園

(このレポートの中に、かつての浦安の葬送の記念撮影が浦安市教育委員会 生涯学習部 郷土博物館の許可をとって掲載しています。ぜひ見てください。最後の儀式に白装束であったり、七五三の着物や一番の自分の晴れ着を着てお見送りをしているのがわかります。それは最後のその人との別れに最大の敬意を払っているのではないでしょか。この写真の許諾がこちらのレポートにのため、このような形でここに掲載しております。)

人はまた生まれ変わるなど、いろいろ考え方はありますが、生まれてきたことによる死は、誰でも一度きりです。そしてその死の瞬間の居心地は、生活している今の制度や環境に大きく左右されます。

 

だからこそ、自分の人生を謳歌すると共に、最後にお別れをつげる家族のこれからに幸せだったよを精一杯残していくには何をしたらいいか。迷うことのないよう、困ることのないよう、あなたの気持ち、あなたしかわからないことを残すこと考えませんか?

もしも意識がなくなったら、命はあったとしても話すことも書くこともできません。これは誰でも同じです。

 

終活するためのエンディングノートでなくて、自分をリスタートするためのスターティングノート『りそうるけノート』始めてみませんか?少し意識してやってみること、それが大切です。

 

企業組合リ・そうるけあ

代表理事 高山和 たかやまあい