看取ること、見送ること、そしてその先へ。 – リ・そうるけあ

看取ること、見送ること、そしてその先へ。

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看取ること、見送ること、そしてその先へ。

 

大切な人が亡くなった時、悲しくて辛くて仕方ない期間がそれ相応あります。

一旦は穏やかになっても、またふと悲しみに襲われることもあることでしょう。

しかし、しっかりと看取れたこと、見送れたことは、後に振り返った時、ご自身の心の支えになります。

最近はお葬式をしない直葬や、お墓でない、海洋葬などもあります。それはそれで、気持ちがこもっていればいいのですが、長い目で見たときに、お墓参りに行けないのは本当にこれでよかっただろうかと感じることが出たときに、後戻りができません。

これは見送った後のご自身の心の支えに多かれ少なかれなるからです。もちろん、何らかの事情でお墓と遠方に住むような場合、お墓参りに気になっても行けない心の負担はいくばかりのものがあるでしょう。しかし先祖代々のお墓だったり、ご親戚の方ともご相談しないといけないケースもあるでしょう。

だからこそ今やさまざまなケース、選択があるのだと思います。樹木葬や、合同葬のほかに、ご遺骨を宝石にして肌につけるご供養や、宇宙葬なるものもあります。

 

何を選択しても、故人を想い、いつまでも供養を続けられることが心の平穏になることでしょう。

例えば、故人が何か趣味や得意なものをもっていたら、その作品、物を遺品としてもち、偲ぶことも心が繋がっている気持ちになれるでしょう。

今年まで山下清生誕100年の美術展が全国巡回であったそうですが、このゴールデンウイークの佐賀県で終わりだそうです。

この美術展開催に伴い、山下清の甥の方のインタビュー記事がネットにありました。大変生き生きをした山下清の日常を話されいて、当時、小さかった甥が山下清に何で絵を描くのかと問うと、「仕事だからな」と答えたというのは、情景が目に浮かぶようで、人として、人生にやりがい、生きがいを持って生きた証の切り絵なのだと感じました。

甥御さんやご家族ももしっかりと見送ったと思われているのが伺えます。因みに、山下清は作品だけでなく、お墓もあります。

(参照) 2024/5/3

裸の大将・山下清が出会った「いじめられない世界」 甥が見た素顔 (山根由起子

https://www.asahi.com/articles/ASR7G3RG6R6VUKJH006.html

 

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高山和 たかやまあい